ロッカールーム  三根 大介
8月2日インタビュー

1次合宿はどうでしたか?

普段やっている芝のグランドと違って
浜辺での練習は全然ちがいました。

個人としてはいかに足腰が弱いかを痛感して、毎日筋肉痛が耐えない状態がつづきました。

すごく追い込めていて、いい合宿だと思う。チームとしてはミーティングの時間を全体的に多く取っていて、みんなのチームに対する意見が聞け、向かう先が見え、チームとして統一されてきました。

それに基づいて、練習の雰囲気も良くなった。この1次合宿は「つらい事もつらい顔をしてやらない」「賑やかな雰囲気の中にも
1人1人が厳しさを持って妥協せずに責任を果たす」という体制が確立しつつあります。

ラグビーを始めたきっかけは、関西から東京に出てきた理由を教えてください。


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幼稚園の時に始めたのは、仲のいい友達がラグビーをやっていたからです。
もともとの出身は関西の方で兵庫県芦屋市の芦屋ラグビースクールの出身です。
小学生の時に年に1度県大会があって、学年全体で40人ぐらいいたのですが、試合に出られるのは9人だけ。そのときから競争がすごく激しくて、試合に出たいために練習も1対1のタックルやフィットネスも普通にやっていました。
競争精神はその時からありました。小学生5年のときに花園で母校・久我山が優勝し、その時のキャプテン斉藤 耕さんの人間性に惹かれ久我山でラグビーをしたいと思いました。それで久我山を受験しました。

でも当時はまだ自分は関西に住んでいて、東京にでるなら1人で上京するしかない状態でした。
父親にはすごく反対されましたが、どうしても久我山でやりたいことを伝え、東京に出ることを許してもらいました。
それで、中学3年間は祖母の家から通いながらの部活づけの毎日でした。

尊敬する選手で川上 力也(久我山出身)と書いてありましたが?

プレーはもちろんですけど自分が高校1年のときに理系か文系か進路を迷っていたときに、
先生の紹介で川上 力也さんに電話をしてみました。
全然力也さんは、自分の事を知らないし、会ったこともないのに、
すごく親身に相談にのってくれて応援してくれたんですよ。
その時にこんなすばらしい人間になりたいなと思い、それから尊敬する選手はと聞かれたら
川上 力也さんと書いています。


立教は久我山出身が多いですが、なにか理由があるのですか?


久我山と立教は雰囲気が似ているんですよね。
立教にいる先輩(荒牧さんは高校からなんですが)および後輩は久我山中学からずーと一緒なんですよ。
その当時から高須さん茂野さんは丁度同じチームでプレー出来て、中学の時からずーと一緒にプレーしてきました。
中学生時代も高須さんは理論派で全く今みたいな感じでした。
例えば、練習中も「今日、何がしたい?」で始まり、「じゃあ、茂野どんなプレーがしたい?」という会話から練習メニューが決まります。それは今も全く一緒。そういう雰囲気が立教の中にあって、先輩達のあとを追って立教に入ったのかも知れません。


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ラグビー生活で一番うれしかった事とイヤだったことは?

うれしかったことは、去年ですかね。
去年の青学戦に勝てたこと。もちろん、それが春からチームが掲げていた目標ではなかったんですけど、4年生に最後の対抗戦で勝利で送りだせたことですかね。


イヤだった事は小学生のころ阪神大震災でチームメイトが1人亡くなったことです。
ジャージに喪章をつけてその時の県大会を戦ったんですけど、優勝することが出来なくて小学3年生ですが、みんなで大泣きしました。みんなで来年は絶対勝とう!とみんなで決意しました。

立教ラグビー部はあなたにとってどんな存在ですか?

運命です。もともと関西にいたのに立教大学に入って、
今の仲間とラグビーが出来る今の環境全てが
運命的なものに感じる。
今は立教に入れたことに感謝しています。
その感謝の気持ちを出すのは、立教の濃紺のジャージを着てグランドで死にもの狂いのプレーを体現するしかない、その為にいま自分が出来ることを全力で取り組んでチームの為に戦い続けます。

次にインタビューを回す人は?

市川で。高校時代は同期であり、今は後輩です。
高校の時同じクラスで、休み時間はクラスのラグビー部と格闘技していました(笑)
そのとき見せた、強さの片鱗を見込んでラグビー部に誘いました。
彼が立教を更に変えていくという気持ちを込め市川君に回します。


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