
< 2007年度主将 安武祐太 >
4年間を振り返って、立教ラグビー部に入って良かったなと素直に思う。12/8の入れ替え戦勝利の瞬間と部歌を歌っている姿が3ヶ月経った今でも鮮明に頭に浮かぶ。立教ラグビー部に入って良かったと一番思えた瞬間だったし、最高に嬉しかった瞬間でもあった。本当にそんなチームを引っ張ることが出来て自分は最高の幸せ者だと思っている。
そんな自分が4年間やってこれ、今の自分がいるのも家族を始め、最高の同期や監督・コーチ陣など多くの方々が支えてくれたからだ。特に昨年一年間はそのことを実感した一年間だった。心から感謝したいと思います。有り難うございました。
そして、広石を中心とする後輩たちには、自分たちが目指すことの出来なかった大学選手権出場を果たして欲しい。昨年以上に辛い日々が待っていると思うが、それを達成できるだけのチームであるし、一人ひとりの強い意思と立教の強みである「まとまり」があれば絶対に達成できるので頑張って欲しいと思う。OBとして応援しています。
最後に、本当に立教ラグビー部には感謝しています。これから社会に出ますが、立教ラグビー部の誇りを胸に頑張っていきたいと思います。4年間有り難うございました。
< 副将 矢島彬 >
四年間のラグビー生活を終えて、まずラグビーを続けさせてくれた家族みんなに感謝したい。高校のときまでは当たり前のように、食事を徹底した管理をしてもらったりしていて、大学の一人暮らしでそのような食事はできず、本当に今まで自分ひとりでは何もできていなかったのだと実感しました。本当にありがとう。
またこの四年間何度か本当に辞めたいと思うこともあったけど、そんな気持ちよりも同期とラグビーを最後までしたいと思わせてくれたすばらしい同期には感謝している。ありがとう。
引退してから私の大学ラグビーをよく振り返るのですが、あの時こうしておけば、あの時なぜそうしなかったのか、などと考えることがあります。それは経験した本人しかできないし、多くの大きな経験を与えてくれた環境、立教ラグビー部は私を成長させてくれたと思います。確かに多くのものを犠牲にラグビーをしてきました。迷惑もかけてきました。それでも何にも変えがたい喜びや経験をさせてくれたラグビーを私は続けてきてよかったと心から思います。後輩には今を大事にしてラグビーにまっすぐ向き合い打ち込んで欲しいと思います。
僕ら同期は3年のときに4年生たちのサポートを怠り、チームがまとまらずB降格という結果になり、私たちの同期は3年の成蹊大学との入れ替え戦の後の夜から大学の最後の1年が始まった。他の同期はどう感じるか分からないが、私にとっては一番長い1年だった。春から怪我続きでほとんど試合にも出ることができず、秋からの公式戦でもチームに貢献できているようには思えず、悩むことが多かった。そんな自分でもついてきてくれたFWのみんなには感謝しています。FWの練習は今までとは比べ物にならないくらいきついものなのに、文句も言わずついてきてくれて本当に頼りになる後輩だと思います。3年生は4年生をサポートしていいチームを作ってくれればと思います。
最後に怪我ばかりでも試合に使っていただいた監督、コーチの方々4年間ありがとうございました。
< 副将 金澤圭一 >
まず言えることは、立教大学体育会ラグビー部に入部して本当によかったということ。辛いことも多くあったし、Bリーグで戦うことなんて入部するときはそんなこと考えもしていなかったが、実際今考えるととても貴重な経験だったと思う。降格があったからこそ目標を明確にたて、同期たちと本気でぶつかり合って話し合うことが出来た。それは普通であったらこのようなことがあるとバラバラになると思われることかもしれないが、私達は、皆で目標を達成するためだけに努力してきた仲間達であり、ぶつかってきたからこそ今までの関係がより深く、信頼できるものになったと思う。この素晴らしい同期と大学生活のほとんどを一緒に過ごせて本当によかったと思う。今までありがとう。
4年間を振り返ってみてもやはり最後の1年というものはあっという間に過ぎてしまった。もしかしたらもっと出来たかもしれないと考えることはあるが、でも後悔はない。チーム全体として目標を達成できたから。そしてBKの変化が目でわかるぐらいまで成長できたから。BKが下手だと言われ続けてきたため、スキル練習を本当に多くやった。地味でつまらない練習だったかもしれないがみんなが文句を言わないでついてきてくれた。本当にありがとう。
そして両親へ。いつも応援に来てくれて、そして今までラグビーを続けさせてくれてありがとう。よく大学までラグビー続けてすごいねって言われるけど、別に私がすごいのではなくて、好きなことを大学生になってまでも続けさせてくれた両親がすごいのだと思う。最後は勝利をプレゼントできてよかった。本当にありがとう。最後に立教ラグビー部に関わる全て人にお礼を言いたいです。今まで本当にお世話になりました。ありがとうございました。
< 主務 高橋東義 >
引退してから4年間で最高の瞬間はいつだっただろうかとふと考えた時があります。
1年の対抗戦Aで初勝利の時か、2年の春に関東学院勝利の時か、3年の同志社定期戦勝利の時か、最後の年の入替戦に勝利した時か…
どの瞬間もかけがえのないものでしたが、私にとっての最高の瞬間、それは富士見グランドでの最後の練習です。4年間で幾度となく笑い、泣き、ぶつかりあったグランド。
大学生活の時間のほとんどを過ごしたと言っても過言では無いグランド。
今までの先輩方の汗と涙が染み込んだグランド。
そこでの最後の練習で私は涙が溢れて止まりませんでした。
まだ入替戦の結果が出たわけでもないのに。
それは長い時間を共にした同期、支えて引っ張ってくださった先輩・後輩、そして人間的にも大きく成長させてくださったスタッフの方々への感謝の気持ちからでした。
あの瞬間、自分の4年間が間違っていなかったと確信し、仲間はもちろん自分をも心から信じる事ができました。
今『ラグビーは何か』と問われたら必ずこう答えます。
ハートとハートのぶつかりあいだと。
最後に4年間離れていながら一番近くで支えてくれた家族に感謝します。
ありがとうございました。
<
奥富 雄一 >
立教ラグビーは私の財産です。
4年間を振り返ってくださいと頼まれ、過去の試合や写真を見ました。忘れかけていたような事も含め多くのことを思い出し、去年の入れ替え戦ですら遠い過去のように感じています。
振り返る中では、数え切れないほどの人たちの顔が頭の中に浮かんできました。コーチ・スタッフ・トレーナー・OBの方々・よく知る先輩や後輩達。この4年間は本当に多くの方々に支えられたものだと実感しています。特に同期の仲間とは4年間という一番長い時間を過ごし、皆には温かく支えてもらえました。心から感謝しています。
立教ラグビーでは青山学院相手の試合を忘れることができません。私が一年生の時は対抗戦A初勝利の試合であり、ラグビーマガジンのトップコラムにもなりました。その勝利のための厳しい練習がありました。コンタクトや走りこみはもちろん。ラストを過ぎ、オーラスでも終わる気配を見せないサインプレーの確認。22人に入るための競争から生まれるグラウンド上の殺伐とした雰囲気。ユニフォームを受け取り、仲間のために全力で戦うと宣言し涙していく4年生。裏方のスタッフや試合に出られない人の思い。ミサンガ。私はグラウンドの中央で円陣を組みながら部歌を歌いながら、ここでは書ききれないほどの多くの人の色々な思いが混ざり合うのを感じました。ここから生まれる宗教的とも言えるチームの一体感を味わったという確かな感覚が、今私にラグビーを続けてよかったと思わせてくれています。
このときは一年生で組織というのが全くわからず、ただチームについていったという感じでした。受身だったと言えるかもしれません。しかし、去年は4年生としてこのような勝つ空気を作っていく側にたち、難しさやもどかしさを感じました。同期全員が感じていました。同じ部歌を歌う時でも、このままでは足りない・届かないのではと考えたときもありました。悩むことが一番多かった年でしたが、最終的に勝利できたことを私はこれからの人生の糧にしていきます。1年間かけていただいた川崎監督の優しい言葉も一緒に持って。
また、この勝利も多くの人に支えられたものでした。特に立教高校時代の斉藤コーチ・塩入コーチからはシーズン中に激励の連絡を毎年いただきました。感謝の気持ちで一杯です。立教高校出身は私の学年では私だけでしたので、高校の後輩たちにはぜひラグビーを大学でもやって欲しいという思いがあります。今年キャプテンの広石をはじめ、倉橋・前田・三輪・金・内山・藤川・太田の立高4年生がチームを引っ張っています。これからも多くの立教高校卒が大学を活性化させて、盛り上げてほしいと思っています。
最後に、両親にお礼を言いたいと思います。高校・大学と常に応援してくれて、本当にありがとうございました。社会人になり、少しずつ恩返ししていきたいと思います。立教ラグビーは私の財産です。
<
菊間 陽介 >
4年間を振り返ると色々なことが思い出されます。青学大に勝利したこと、負けたこと、Bグループに降格したこと、4年目でAグループに再昇格したこと、何気ない日常生活の一コマ、練習後の風呂場での出来事・・・。思い出せば、際限なく出てきてしまいます。
そんな4年間で一番思い出に残っているのは、もちろん入替戦勝利・Aグループ復帰だと思っていましたが、意外にも、自分の記憶に一番残っていたのは、入替戦に敗退し、Bグループへ落ちたときのことでした。
1年前、入替戦で成蹊に負けたとき、何もかもわからなくなって、頭が真っ白になってしまいました。ノーサイドの瞬間は、現実を信じることができなくて、何より先輩の試合がこれで最後だということが信じられなくて・・・、だんだんと実感が沸いてくるにしたがって、応援してくれた人すべての人に申し訳なくなって、自分たちは大変なことをしてしまったんだ・・・という気持ちになったのを今でも思い出します。
しかし、すべてのことがあったから、今があります。最後の入替戦では、本当にチームが一つになれたことをとても嬉しく思っています。そして、そのおかげで入替戦に勝利することができたと今でも信じて疑いません。ノーサイドの笛が鳴り、入替戦勝利とAグループへの復帰が決まった瞬間、嬉しいはずなのに、なんだかデジャブのように、不思議と見たことのあるような光景が広がっている感じがしました。そして、「あぁ、もうこれで終わってしまったのか」と少し寂しい気分にもなりました。ですが、勝って終わることができた私たちは本当に幸せです。
そして、私がこの4年間で得た一番大きなもの。それは最高の仲間たちです。辛い練習や、苦しいフィットネス、怪我をしてラグビーができなかったとき、4年時の夏合宿でBチームに落ちてからAチームの試合を見ていると、もう二度とあの舞台に戻れないのではないかと焦燥感にかられ悩んでいたとき、入替戦に勝利したとき、いつもそばには仲間がいました。私には最高の仲間がいたから4年間ラグビーをすることができたと言っても過言ではありません。これは私の一生の財産です。本当にみなさんお世話になりました。
最後に、この場を借りて自分の両親にお礼を言いたいと思います。私がラグビーを始めてから9年間、毎試合会場へ足を運び、応援し、支え続けてくれた両親に大変感謝しています。長い間本当にありがとうございました。
私には充分すぎる最高の4年間でした。
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大谷 将明
>
卒業するとなって、自分が大学生活で何をしてきたか振り返ってみると、生活の半分近くがラグビーであったので、やはりラグビー部にいた頃の思い出が鮮明に思い出される。私は、高校までテニスをやってきて大学生になって初めてラグビーというものを体験した。始めるきっかけとなったのは「親父のおかげ(?)」である。親父が50歳になっても続けているラグビーというのは、そうとう楽しいスポーツなんだなと思って、期待してラグビー部に入部した。しかし、現実はそんなに甘いものではなく、二浪して入学した大学で激しいラグビーというスポーツをするとは全く予想していなかった私の体は早速悲鳴をあげた。そう、左太もも肉離れ。それをきっかけに一年間は怪我との戦いだった。今考えてみると、自分の体の管理の不十分さが原因であったのだが、そんなことを回顧する暇なく次第に怪我は私の精神も蝕んでいった。長くてつらかった一年の夏合宿がやっと終わり、試合のシーズンになってくると、段々と気持ちは落ち込みはじめ、部活がまったく楽しくない状況にさえなっていた。私は公式戦の真っ只中、まったくチームメイトの気持ちを気にせず、部活退部を決意した。当時主務をなさっていた宮本先輩に自分の気持ちを正直に話して数日間部活を休んだ。部活のチームメイトが毎日電話で引き止めてくれたが(安武・茂野・菊間たち、あのときはありがとう)、もう後戻りはできないと思ってチームメイトの話をまったく聞かなかった。
しかし、青学戦という一年間ターゲットにし続けてきた試合をスタンドから観た私は、なんて馬鹿なことをしてしまったんだと初めて気がついた。一年間ターゲットにし続けた青学に勝った。でも、勝利の歓喜沸き立つ選手の円陣の中を観客席から見ている自分・・・。あの円陣の中に心底入りたいと思った。
あの輪の中に入れないなんて何てバカなことをしてしまったんだと気がついた私は、練習場に行きみんなに迷惑をかけたことを謝ろうと思った。そして私は、選手がグラウンドの真ん中で大事な話をしている最中に、無理言ってお願いをして時間を割いてもらい、心から謝って部活に復帰させてくださいとお願いをした。もちろん、「どれだけチームに迷惑をかけたのかわかってんのか!」としかられるのを覚悟していたが、選手のみんなは「いいから早く頭を上げて着替えて来いよ。」と言ってくれたのである。
それから、大学4年生になるまで練習は厳しく、とても好きとは言えるようなものでなかったけれども、心の底から信頼できる仲間がいたからこそ継続できた。怪我で何度も挫折しそうになったが、チームメイトのおかげで挫折しそうな自分にも少しずつ克つことができるようになった。しかし、4年生になるころ、未だに私は辛いことから逃げてしまう悪い癖は直しきれないでいた。
「いいか、お前はあと一年、絶対に逃げるな!わかったな!」
ひとつ上の代のキャプテンを務めた西田先輩の言葉を思い出した。4年生になって私は「絶対に辛いことから逃げない」と心に決め、一年間辛いことがあっても絶対に逃げ場をつくらないように努めた。熱射病で倒れることが多く夏場は迷惑をかけたが、後輩の関戸に練習後、トレーニングをしてもらい自分でも驚くほど心身共に成長した。シーズンに入ると2軍のキャプテンを任せてもらい、怪我ばかりで頼りない自分にできるのかと不安であったが、ひとつ下の後輩である太田・倉橋・三根達が幾度と無く支えになってくれた。これほど頼りになる後輩が他にいるだろうかと思ってしまうほど、しっかりした後輩達に支えられ、念願であった1軍の試合にも出場することができた。そして、あの時果たせなかった思い・・・、そう「勝利の歓喜沸き立つ選手の円陣の中に入る!」という自分の大学ラグビーの最高目標に到達することができた。まさか達成できるとは4年の初めのころは夢にも思わなかっただろう、しかし、こうして実現できたのは立教大学ラグビー部が素晴らしい人間の集まりであったからこそである。
今こうして謝辞を書いていると、自分がいかに弱い人間であるのかがわかり、そして、今の自分がいかに立教ラグビー部に支えられていたのかがわかる。今の私は立教大学ラグビー部無しには語れない。4年間本当に長くて辛くて厳しい毎日だったけれども、この経験は人生を数倍良いものにしてくれるだろう、そして4年間のラグビー生活を通して本当に素晴らしい仲間にも出会うことができた。
最後に、この場を借りて述べたいことがある。
「立教大学ラグビー部、本当に最高だぜ!!ありがとう!!」
<
茂野 達郎
>
四年間を振り返ってみて、立教ラグビーに関われて本当に良かったと心から思います。
思えば、入学当初の私は現在のラグビー部では考えられない程やる気のないひどい一年生でした。しかし、四年になる頃にはどちらかといえばやる気が溢れているラガーになっていました。このようにラグビーに没頭し腐らずにいれたのも、立教の「素直に聞きリアクションをとる真面目さ」という伝統のおかげだと感じています。
私は多くの先輩達の姿やコーチ陣の指導から「物事に対してまっすぐに向き合う姿勢」の大切さを学びました。立教の伝統の素晴らしさを再確認し確固たるものにするために安武組はREVIVEしていたのかなと今になってみると思います。広石組には、安武組でREVIVEした立教の伝統を基盤にしてSTRIKEし更なる飛躍を遂げ大学選手権出場することを願っています。
最後に、ラグビーをやることを応援して自由にやらせてくれた両親に感謝したいと思います。本当にありがとうございました。
< 戸谷 佐千夫 >
ラグビーが本当に大好きです。
ありがたいことに四年間、怪我はいくつもありましたが、多くの人に支えられてラグビーを続けてくることができました。ありがとうございます。
自分が好きなことに打ち込めるということはとても幸せなことです。練習などでつらくなった時は何で自分がラグビーをしているのかを考えるようにしていました。
これまで家族、スタッフの方々、先輩、後輩、マネージャー、トレーナー、地元の友達、そしてもちろん同期にも支えられてやってこられました。自分は本当に弱い人間なので、周囲の人の支えが無かったらここまでやってこられなかったでしょう。また、大学の四年間でこのようなかけがえのない体験をさせてくれたこと、本当にいくら感謝しても足りないくらいです。ただ「ありがとう」の一言では伝えきれません。
泣いたり、笑ったり色々なことがあった大学生活でしたが、その環境に身を置いて成長していくことができたのは素晴らしいことだと社会人になろうとしている今、改めて感じています。
また自分が歩んできた四年間に対して今はまったく後悔はしていません。自分の進んできた道を信じています。怪我をしたこと、コーチとぶつかったことその一つ一つがあるからこそ、現在の自分が成り立っています。この立教大学ラグビー部として過ごした四年間を通じて得た誇りや自信を一生持ち続けていきたいと思います。
ですから後輩には積み上げてきたものを信じて、そして今という時間を大切にしていって欲しいと思っています。
またこれからは機会があれば今まで教わってきたものを今度は地元で子どもたちに教えることができたらと考えています。とても難しいことですが、それはまた一つの感謝の表し方だと思っています。
最後に、立教大学ラグビー部のみんなが大好きです。本当にありがとうございました。
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